小学1年生の子の機嫌がすこぶる悪い。
「夜ごはん焼きそばにして」というので、「材料ないから買ってくるね」と伝えると、「いや、行ったらだめ。」と言う。
「じゃあ、冷蔵庫にある材料でトンカツするね」と伝えると、「いや、焼きそばじゃないとだめ。」と言います。
おぉ、フェルマーの最終定理より難解だな…と思いつつ、世の親は、子どもの「いや」を紐解くのです。
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今回の「いや」の正体はなんなのだろうか。
ようよう話を聴くと、学校で友達と嫌なことがあったと。
ワーッと泣きながら話してくれる内容を要約すると、こんな感じでしょうか。
”仲良しの子が、自分が仲良くない子と遊んでいるのが嫌”
”自分とだけ遊んでと言っても、そうしない”
なるほどなぁ。
「そんなこと言わないで、みんな仲良くするんだよ。誰と遊ぼうが、それは人の自由だよ。」
と言いかけましたが、その言葉に私自身が違和感を覚え、言葉を飲み込みます。
なぜなら、「あ、何を隠そう、私も同じ気持ちなってます。小学校とかのレベルではなく、つい先週くらいも同じ気持ちになりました。」と思ったからです。
・自分が知らない間に、仲いい友達が他の友達と飲みに行ってたら心がざわっとするし。
・苦手だなと思っていた人と、親友が仲良くしているのをみたら、苦手な人にじゃなくて親友に対して複雑な気持ちを抱いてしまうし。
斜に構えて、「そんなこと全然気にしていないでざます」と、平然を装った態度をとるのに、内心ざわざわしています。なので、素直に気持ちを表している娘よりも、私の方が質が悪いんじゃないかなと思った次第です。
そこで、”そのような気持ちになることをなくす”より、”そのような気持ちになった時の母さん流対処法”を伝授しようと思います。
「そんな気持ちにならないよ、みな仲良し、優しくね」と言われても、
「あのー…そうなれるんだったら、とっくの昔になっています。それができないから困っているのです。」と私が心底思っていたので考えました。
誰かの何かの参考になったら嬉しいです。
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頭痛薬、あるじゃないですか。
割と副作用がきつく、自分と合わない薬。
たぶん、時間とか回数をちゃんと守ってなかったんでしょうね、私。
けど、だからと言って、自分の身近な人が頭痛薬を飲んでいても
「おい、それ飲むのやめよーぜ!私副作用めちゃきつかったからさ」とはなりません。
きっと、私が用量用法を守っていなかったからあわなかったのかもしれない。
きっと、私には体質的にあわなかっただけかもしれない。
私は服用しないけれど、あなたの頭痛が治るんだったら嬉しいな
私が苦手な頭痛薬でも、大切な人の痛みが軽減するなら、とても良いことだと思うのです。
人でも同じかなと思っています。
私とは、合わなかっただけかもしれない:それもOKだよ
大切な人には、合うかもしれない:それもOKだよ
私はそっと距離をとるけれど、大切な人が幸せになるのであれば、それは素敵な要素だなと思うのです。
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コミュニケーション研修等でも、アサーティブコミュニケーションの重要性が言われています。
自己も肯定し、他者も肯定する「I am OK,You are OK」
自分の中に現れた感情を否定することなく、大切な人の幸せも想える人になりたいなと思います。
さて、こどもをギューッと抱きしめて、焼きそば問題とりかかりましょう。